上手く行ってる人がムカつく、腹が立つ
運動会も終わり、秋が深まりかける頃でした。夏の残暑は残っていました。放課後運動場のわきでワルたち数人と相撲を取っていました。代わりばんこの取っ組み合いです。
私は3人とやり合って汗だくになったのでちょっと休もうとなりました。石の角に腰を下ろして運動場の部活を見ていました。その時、横にいたワルの親分格の子がぽつんと僕につぶやいたのです。「先生。おれなあ、何かうまくいってる奴を見ると猛烈に腹がたつねん。わけもなくなんや。蹴とばしたろうかと思うねん」そう言ったのです。
「そうかあ。そんな気持ちなんや。なんでやろな」と私は云いました。なんでやろなと言いながら、理由はよく分かっていました。彼自身がうまくいっていなかったからです。もがいていたのです。このままだとどんな将来が自分にやってくるか不安だったのでしょう。
正直な気持ちなのだなあと思いました。
脳の血流
2003年「学力低下を克服する本」を出版してから忙しくなりました。陰山先生との共著で何しろ20万部ものベストセラーになったのですから。本の内容に基づいて東海大学に招かれ、東北大学の川島隆太教授とのジョイント講演会をすることになりました。
そこで川島先生の脳の血流のDataを見たのです。それはすごいものでした。
FーMRIという機械を使ってデータを取るのです。人間の脳には血が流れていますが、それは常時一定量があらゆる所に平均して流れているのではないのです。先生の研究はある行動をした時に脳のどの部分に新鮮な血流がどれだけ激しく流れるかを探るものでした。
教授の狙いは前頭葉(意思や考えを司る、最も人間らしい活動をControlしている所)に血流が最も激しく流れる行動は何かを探していたのです。
特にそれが分かればその行動を継続し続ければ人間は賢くなるではありませんか。そしてその画像はそれを突き止めていました。計算、特に難しい計算ではなく、100マス計算など、基礎的な簡単な計算の時が最も激しく。次には文字を音読する時に激しく流れていることを明らかにしたのです。
不思議なことに難しいことを考えて居る時には前頭葉には余り血流は流れないのです。
テレビゲームなどの時、視神経には桁外れに流れるのですが、前頭葉には血流はほとんど流れません。
という事は100マス計算や、音読を短時間、毎日すれば前頭葉に激しい血流が流れ続けることになります。子どもたちはきっと賢くなるのです。これはすごい事でした。
「老健施設での実験」 この研究をすすめた東北大学、川島隆太教授は北九州の老人施設で寝たきりで動けない老人に対し追加実験をしようとしました。そしてその対象となる老人に実験の狙いを説明し、協力を求めました。その老人は実験協力を了解してくれました。1か月間、投薬を絶ち、ベッドで体を起こし、毎日、15分間ずつの100マス計算と音読を実践したのです。その結果1か月後、その老人は杖を突いて歩き始めたのです。これを見ていた同じ施設の入所者たちは我も我もと実験へ参加しだしました。その中から「おむつが取れる」、「夜間の徘徊が無くなる」、「元の知的な表情が戻る」など、47症例という顕著な改善例が現れたのです。この事実は老人の未来に対してこれまでの理解とは全く異なる世界を教えることになったのです。この様子はNHKのクローズアップ現代でも放送されました。
ムカつくやつ」から仲間へ:100マス計算の取り組み
この事実をしり、私は自分の実践が正しかったことに確信を持ちました。それまでも時間があれば子供たちに100マス計算に取り組ませていました。
しかしそれはかなり積極的にやってはいたというものの、あまり計画的なものではなく、「時間があればやる」という程度のものだったのです。考えればそれではダメなのです。
そこからはむしろ積極的に時間を確保して計画的に取り組むように変わりました。
紙を配ります。「よーい、始め!」の声で生徒はスタートします。一瞬の静寂が訪れ、カツカツという鉛筆の音だけが聞こえます。全員が集中する、静かなその情景は非常に感じのいいものです。
1分が経ち、1分半を過ぎると早い子の手が上がり始めます。「1分32秒」「1分50秒」とコールしていきます。2分30秒を超えるあたりから次々と手が上がっていきます。
タイム短縮ができた子からは「よし!」という声がして拳を握りしめています。始めは「勝った」「負けた」と言い合っていました。しかしみんなが短縮するという事実を見続けている内にそれはなくなりました。
継続しているので3分の手前で全員が終了します。「よし。今日も全員が3分を切った。次はみんなで2分半を切りたいな。でももっと大事なことは全問正解や」と私は云います。そういって答え合わせに移ります。
今やったばかりの100マス計算の用紙を生徒同士交換させます。赤ペンを用意。「間違いには大きな太い✕をつけること。いいか」そう言って正解をスピーディに読み上げていきます。
答え合わせが完了します。「全問正解者はてをあげて」8人が手を挙げます。「✕1個」「✕2個」「✕3個」と確認していきます。確認が終わって自分の100マス計算用紙をファイルに閉じて終了です。
最初の話を少し思い出して考えてみましょう。「勝った負けた」と競い合っていた生徒、「上手く行く人を見るとムカつく」と言っていた生徒の心理はなぜ変わっていったのか、、、。
思うに、「自分は今、頑張っていて、確実に成長している」と思える実感が持てている事。そして、「これを続けることで将来、成長していくビジョンが持てた」という自負と希望がカギになっていると思うのです。
自分は頑張っている、あいつも頑張っている、自分もあいつも伸びている。そんな毎日の計算練習の中で、「上手く行っていてムカつくあいつ」から、頑張りと悔しさとを「共有できる友達」と認識が変化していったのではないでしょうか。
例え現状が泥沼にはまり込んだような状態でも、「これをコツコツ続けて行けばいつかは抜け出せる」と思うことが出来れば、真摯に地道な作業を繰り返して成功をつかめるのです。そして、その成功体験が、次に来る難局を練り切るための新しい自信と指針になってくれるのです。
100マス計算を通して自分の成長と変化を実感した体験は、潜在意識の中で「自分の将来は上手く行かない」と思っていた彼らが「自分には自分の未来を切り開いていける力を持っているのだ」と実感する最初の機会になったのでしょう。